(1)馬単独(神馬)
(2)馬鳴菩薩
(3)馬頭観音
(4)その他の習合(絹笠明神・蚕玉様)
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■馬頭娘
「蚕と馬」といえば、最も知られているのは、「東北のオシラサマ」ではないでしょうか。

これは「桑の木の馬頭と娘の首との一対の木偶神」を布で覆った御神体を家の守り神として祀ります。
養蚕との関係では、小正月の「オシラ神祭り」の時にご神体のオシラサマを遊ばせながら唱える「オシラ祭文」が由来を伝えています。その中に「馬頭娘」伝説があり、祭神と一体であるといえます。

てっきりこの信仰は馬頭観音だと思い込んでいたけど、どうも違いますね。検証は大事だw
詳しくは、こちらのレポートが秀逸です。
<参考01>
「遠野のオシラサマ」(報告:中森あゆみ)
ちなみに「関東のおしらさま」といわれる信仰圏がありますが、これは祭神など信仰の形態が東北のものとは全く違うので、名前が似ているというだけで無縁の別物であることを記しておきます。
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■馬頭観音
馬頭観音の石塔は、関東周辺にはいくらでもあって、いかにも養蚕と結びついていそうなものですが、これが驚くほど痕跡がないのは、どういうわけなんでしょう(笑)家の中で家族同様に愛されてきた馬は、死んだあとは馬頭観音様になるのだという通念が強くて、「お蚕さま」は別物でね、ということなんかなあ。
「蚕と馬頭観音」は関東ではサッパリですが、中部地方では興味深い事例がいくつかあります。

(岐阜県)美濃加茂市/小山観音(馬頭観音)初午祭
馬頭観音を祀る小山観音の初午祭(3月4日)では、「養蚕万足」のお札が授与されています。

(岐阜県)高山市/観音堂絵馬市の紙絵馬
馬頭観音にちなむ「絵馬市」が開かれ、牛馬の姿を描いた紙絵馬が授与された。本来は厩に貼って、牛馬の安全や稼ぎを祈願したものであった。
その他にも、
(愛知県)東栄町(1)民芸館と馬頭観音掛軸
(静岡県)小山町/圓通寺の馬頭観音
(長野県)諏訪市/馬頭観音の養蚕札
これらは、元々あった馬頭観音の信仰圏で養蚕が盛んになり、養蚕守護の要請から習合したものではないかと思われますが、その根拠として(馬鳴菩薩ではなく)馬頭娘伝説が引用されているのでしょう。
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サッパリの関東でも、注目しておきたい事例はあります。

東松山市(2)妙安寺馬頭観世音の例大祭
馬頭観音の霊場として知られていて、地域の養蚕講が奉納した石塔があります。
「馬頭観音石塔 大岡村北部養蚕講組合員 昭和12年4月19日建立(例祭日)」
「4月酉の日の晩に近所の養蚕家が集まって、お寺ではお札と繭玉を配付した」
(参考:「まゆの国」井上善治郎)

調布市/調布市郷土博物館と馬頭観音
「小橋馬頭観音塔」は、地元の村人と八王子の縞買商人(この地方特産の織物を買いつける商人)などが協力して、文政7年(1824)に建立。
もとは、甲州街道の小橋(現馬橋から西50m)の「すてば」(馬などの埋葬地)にあったものを甲州街道の拡幅で再度にわたり移動し現在地に安置された。
絹(生糸)を運ぶ馬のありがたい御利益に由来しています。

昭島市/馬頭尊と昭島市郷土資料室
「林の馬頭尊」と呼ばれる馬頭観音塔があります。
「20頭の馬を飼育していたので、馬持連中が慶応四年(1868)に建て、馬匹の守護と村の安泰を祈願したといわれている。江戸時代の末期にごく一部ではあるが、馬匹のみならず、養蚕、五穀の農穰、火の守護などを含めた上での馬頭信仰があったといえよう」
(参考:昭島市デジタルアーカイブズ)
▼日本のシルクロード
蚕影神社がどれほど分布しているのか、というデータをカイコローグ同人の清水さんがゴリゴリと調べていただいた結果、300社以上の痕跡が現在も残っていることが分かりました。北は岩手・山形県、西は滋賀県・京都府にまで広がっていますが、その大半は関東一円から長野県にかけてです。
養蚕地帯なので、畑作・山間部がほとんどで、平野部の稲作地帯には分布が見られないのも特徴です。
蚕影信仰は筑波山麓の本社から勧請・分社で広められたもので、各地域には他にも氏神や農業神・織物神などの地元の信仰があり複雑に入り混じっています。

主にこういう地域で生産された生糸は、陸運・水運で横浜に運ばれて輸出されました。これを「ハマ糸」といいます。現在では、その流通で賑わったルートのことを「日本のシルクロード(絹の道)」といわれるようになっていて、江戸(東京)市中を通らずに、八王子に集積されて横浜に直行する「鑓水越え」のルートの一部が「絹の道」として保存されています。

幕末から明治時代は、馬で運んでいました。許可を得た馬主以外の白タクのような運び屋も横行していたほど大量の生糸が運ばれていました。
茅葺屋根の民家では、「土間にある風呂に入っていると馬の顔がすぐそこにあった」「人間は蚕棚の隙間に寝ていた」というように馬と蚕と人間が三密の関係にありました(笑)
生産者も流通業者も馬と蚕(生糸)は生活を支えてくれる大切な生き物で、その命に注がれる愛情も信仰心に結びついていたであろうと思われます。
<馬の背の生糸>は、馬乗りの蚕神さまのイメージそのものだし、やっぱり馬頭観音は「隠れ蚕神」なんじゃないかと思ってしまうのでした(笑)
明治16年(1883)、日本鉄道(現JR高崎線)が開業。
明治22年(1889)、甲武鉄道(現JR中央本線)が開通。
明治41年(1908)、横浜鉄道(現JR横浜線)が開通。
これらは、ヒトを運ぶためでなく、石灰石など建築資材や生糸を運ぶ貨物線の必要性から開設されました。
意外と蚕と馬は同時期くらいに姿を消したのかもしれませんね。
