富山市(1)八尾町の蚕養宮と蚕神女神像

天の虫と書く蚕、日本へは弥生時代に中国大陸から伝わったとされています。
元禄年間全国に養蚕農家が次第に増加し、富山藩でも奨励され、
幕末期には画期的養蚕技術の開発・発明がなされ生糸は主要な輸出品となりました。
1813年(文化10) 蚕種の販路が全国に広がり八尾の蚕種は全国の4分の1を占めるまでになり、
町は大いに潤い、富山藩の財源を支えたといいます。
養蚕農家にとって繭が上手く育つかは死活問題です。
毎年の桑の成長、鼠や病気の被害に遭う事のないように、養蚕独特の信仰体系が伝わっています。

 

●蚕養宮(かいこのみや)・若宮八幡/富山市

天明元年(1781)山屋善右衛門が陸奥国から病気に強い原蚕種を仕入れると共に少名彦名命の神霊を勧請。


山の中にある蚕の宮

 
とても美しい社殿でした

 
蚕の宮だけあって、手水鉢は繭の形。蚕の口から・・・


蚕が羽を広げたような姿


拝殿の中には蚕の成虫がデザインされた釣り灯籠があるそうだが、開いてなかったので見れなかった


養蚕の護符(越中八尾観光会館)


御由緒

 

 

●蚕の宮/富山市八尾町室牧地区

これは余所者には絶対見つけられない所で、まず人がいないなから、人を探す所から始めないといけませんでした…💧
でも出会えてよかったです〜  (中森/2017年)

かつては八十八夜に祠の前で、豊蚕祈願の宴が行なわれたそうです。

 
こんな所に祠って!
見えんやん!

 
集落の中の畑の横に円筒形の祠
昔はこの畑も桑畑だったのかもしれない…


宝珠?を持った女神像
弁財天のようにも見えますが…


繭型の後背
着彩の跡があります

(中森)

 

● 蚕の宮/富山市八尾町谷内59


実際、余所者はたどり着くことができないと思われます。
私は八尾町窪にある商店(実は”元”がつきます。数年前に店仕舞いしたとのこと)を訪れたところ、奥様に「あそこかなぁ? 連れて行ってあげる。違ってたらゴメンね。」と言われ、お言葉に甘えて連れて行って頂きました。一目見て「ビンゴ! これですこれです! ありがとうございます」と喜びとお礼を申し上げた後おいとまさせて頂きました。何でも、数年前に町の広報で取り上げられたらしく、奥様はそれを覚えてらしたとのことです。

後で住所を調べました。住所が分かれば行くことは可能でしょう(ストビューには映ってません。地番があって良かった。)。


胸部にドロバチの古巣があり、水と束子で落としましたが茶黒く変色した所は落ちませんでした。女神さまの顔の表情が撮りたくて光の具合いやら角度を変えてみましたが、風化が進んでいて芳しい結果は得られませんでした。
両手で宝珠を携えており、桑枝は持っていません。また、繭玉とか成虫(蛾)とかの彫りもなさそうで、これだけをみて「蚕神さま」とは言い切れません(まぁ、後背が繭形ですから蚕神と言っても良いでしょう)。像を隅々まで調べましたが年号とかの彫りはありませんでした。
(赤城/2026年)


こんな時代がありました。蚕の宮 繭玉の形です。
(1993年/平井一雄)
今から30年以上前。随分、彩色が残ってますね。それと、目は瞑っているのですね(現在は顔の表情が判りませんので)。
(赤城)

 

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