●寒川神社/神奈川県高座郡寒川町宮山3916

相模国一ノ宮の寒川神社には明治期の社務日記が残っており、翻刻されて図書館にあります。
そこから養蚕に関する記録だけ抜粋してみました。
明治7~11年の社務日記から拾ってみたもの(見逃しはあるかも)
▼明治7年
2月24日 蚕大神掛物六反神饌菓子三方~
3月20日 田名村、上溝村、九沢村、葉山島村より大々祭典並養蚕繁栄祭として大旗立当社へ参る。
5月6日 大島村倭講社加入祓式執行畢て養蚕繁栄祈祷~。
5月21日 打戻村金子太郎右衛門方養蚕鼠除御祈祷。
5月21日 打戻村金子伊左衛門方養蚕鼠除御祈祷。
▼明治8年 無し
▼明治9年 無し
▼明治10年 無し
▼明治11年
5月23日 遠藤村久保島利十郎養蚕安全祈祷。
以上。
明治初期は春蚕しかやっていなかった?
明治11年の久保島氏ですが遠藤村。
カイコローグサイトに掲載されている養蚕神社(遠藤310)と関係あるかも。
窪嶋と久保島は読みが同じ。
祭神が女神の御札という証言が正しければ、天照大神だったりして。
実は寒川神社には養蚕信仰関係のモノは何も残っていないそうです。
社務日記は書き手がバラバラと思われ、~村某の子供の疝虫を除しただの、~村の某が死んだので霊祭をやりに行っただの、かなり細かく記している年と、神職がどこそこへ行った、帰ってきたというような事しか記していない年があり、上記の養蚕関係神事が皆無の年にやっていなかったわけでは無かろうと思われます。
(中川)
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相模国一之宮の寒川神社で行われた養蚕豊産祈願の祝詞と神符です。
中島宮司は大正末〜昭和初期の方らしく、同時期のものと思われます。
長いですがそのまま書き出します。
掛まくも畏き寒川神社の大前に、宮司正七位中島正国、 恐み恐みも白さく。 蚕飼の業、遷らせ給ふ神代より言巻き畏み申し止めり。 天照皇大神、天の香具山に桑を植え蚕を養う事を始めたまいて、 世に依り給ひて世と共に絶ゆる事無く、進め行ひ、今に天下の 百姓の生業の中に、最も重き科と営まざる者無き状は、 故其の業の、広く厚き恩頼を蒙り奉る。年ごとに随ひて、大前に御供の御酒、海川山野の食物、礼代を置き高く 成して、乞ひ祈奉る状は、平けく安けく聞こし食せ。大神の宇志は 波岐坐す此の神奈川縣別此の高座郡の村々里々の人々、 家に身に、八十の禍津日の禍事無く、日夜に勤しみ、給比て、朝には桑葉摘み込み夕の真床に取替て愛しく養蚕 毎の時候、逢ふ事無く、雨林の雨の悪風の障無く、桑の進め、安く休み、起き住まひ、平けく養し得、育て得給ひ、白玉の如く可美しき、繭の浜の真砂の数も不知横山の如く、取り得給ひ、家々の院に足ひ、天下の豊の年の、久しく佐加へ、 萬千秋の長き五百秋に立て栄え 給へと、恐み恐みも白す。
以上は写真をAIに読ませたものなので、正誤は不明ですが、大意はわかります。
神奈川縣蚕業試験場長も参列したようです。
おそらく、ですが、高座郡養蚕組合の養蚕豊産祈願祭で使われた祝詞ではないかと。
養蚕豊蚕祈願祭の祝詞原稿は他にもありますが、見た目ではこれが一番古そうで内容も長かったので選びました。
寒川神社では高座郡養蚕組合が毎年養蚕豊産祈願祭をしていたようで、寒川神社から各地域の組合長へ「今年も4月20日に祈願祭をやります。終わったら貴地域分の神符を一括して渡します」というお便りが出されていました。
これは昭和7年の史料として残っています。
なお、この祈願祭がいつから始まったのかは判りませんでしたが、高座郡で一番古く成立していた組合は明治44年らしいので、それ以降でしょう。
この神苻ですが、どれくらい刷られたのか大雑把に数えると、昭和4年時点で高座郡にあった養蚕組合は85あり、組合員は2333名いましたので、少なくとも毎年2000枚くらいは刷っていたのでしょうし、それ以外からも求める養蚕農家はいたでしょう。

現存している版木は2種類(大小)ですが、文言は同じ「寒川神社 養蚕幸護祈祷神符」。
大きい方はだいぶ摩耗していました。
こういうものは毎年新しい札をもらって、家屋内の高い場所へ置いて拝み、古い札はお焚き上げになるらしいです。寒川神社の神符は見たことありませんでしたが、お焚き上げされちゃうなら当然か。
なお調べた範囲だと、寒川神社では明治7年2月に久沢村(九沢:現在の相模原市)から泊まりがけで来た農家が祈祷をしてもらい、養蚕大神の掛物6反を書いてもらい持ち帰ったのが最古でした。
これは残っている明治6~18年の社務日誌から拾ったもので、見つけられたのは7回。
複数の村が共同で養蚕繁栄祭として旗を立てて参拝したケースもありますが、高座郡内の個人がほとんどでした。
社務日誌は書き手によって内容がバラバラで、大きな出来事しか書いていなかったり、日常業務的なことしか書いていない場合もあるので、もっと多かった可能性は当然あります。
以上です。(中川)
註)これらの写真はカイコローグ用に寒川神社様と寒川町文書館様から許可を得たもので、それ以外での利用・転載などは個別に許可が必要です。
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(*)この画像は「寒川町文書館所蔵」で、カイコローグへの掲載許可は得ていますが、転載などには個別の許可申請が必要です。
神奈川県寒川町大曲の旧家が所蔵していた「蚕神宇気母知命」のお札です。
どのような経緯で入手し、どう使っていたのかなどは不明。
掛け軸としてはやや短いですが、表具仕立てにすれば行けたかもしれません。
興味深いのは印刷発行人の名前ががっちり入っている点。
明治22年12月10日印刷出版
印刷兼発行人:東京市下谷区仲御徒町一丁目四十八番地 林範平
この林範平なる人物はよくわかりませんが、検索すると日蓮宗系機関誌を印刷していた会社の社長をやっていたようです。
ただ、明治22年だと出版社の番地も全く違う場所になっており、発行編集人から名前も消えているので、日蓮宗と関係はあったかもしれませんが教団関係者というわけではなさそうです。
寺社とは関係ない頒布品というか、商品だった可能性もありそうですが、それだとわざわざ印刷会社の名前は出さないだろうし、、、よくわかりませんw
ちなみに大曲という土地は相模国一之宮である寒川神社のお膝元と言って良いエリアで、寒川神社は上記のように豊蚕祈願祭を毎年やっていたことが判っています。
お札も出していました。
何故これを所有していたのか〜謎。
(中川)


